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松山踊りには大きく分けて二つの流れがある。
ひとつはやぐらを中心に一般人が輪になって踊る「地踊り」といわれる盆踊り。


「地踊り」は慶安元年備中松山城主は水谷勝隆のころ

農家の五穀豊穣を祈願し、町家の繁栄を祝ったのが始まりと言われる。
昔は特定の踊り手が扮装して踊っていたが、のちに一般の物も踊るようになった。


昭和30年前後には、まだ四斗樽のうえで番傘をさした音頭とりが片手に扇子を持ち体を左右に振ってリズムをとってうたえば、踊り子達は編み笠に浴衣、白足袋姿で音頭取りを取り巻いて輪を作り夜を明かして踊った。
この輪踊りの形では、松山踊りは日本を代表する踊りとなっている。

一方、武士を中心に踊られていた格式高い踊りが「仕組み踊り」

「仕組み踊り」とは、延享元年、伊勢亀山から移封された城主、板倉勝澄が武士達に慣わせ、城中の酒の席で踊らせたのが始まりといわれる。

音頭と踊りは尚武的な物を題材とした。
武家の子女は地踊りを見ることを許されず、武士達が数人の組を作って矢場などで踊る仕組み踊りを観賞していたと言われている。













  

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