▲観光案内所トップページへ  ▲イベント情報トップへ 
松山踊りコーナーTOP松山踊りの歴史松山踊りの歌詞集松山踊り写真集写真集その2
松山踊りの音頭集松山踊りの映像踊り方フラッシュ歴代のポスター&グッズ

■松山踊り音頭その1
備中高梁松山踊り 月の絵になるお城の矢場で

ちょいと小粋な姉さん冠り かけたたすきは夜目にも紅い

差す手引く手に化粧がかおる くるり廻れば月影おどる

顔をかくした鼻頬冠り 髭と声とはかくせぬ旦那

はずむ太鼓に踏む足取りも 軽い袂にゃ涼風そうて

浮かれ出てきた翁やおおな 腰を伸ばして音頭に乗って

踊る手振りは昔のままよ 更けりゃ次第に広がる輪幅

金の苦労も浮き世の義理も 今宵ばかりは空吹く風よ

おどりひとつも踊れぬ野暮に 明日の果報が廻って来ようか

時の老中板倉様も 音に名高い方谷様も

おどらしゃんした松山踊り おどらしゃんしたこのおどり

南にながるるあの大川の 阿部の渡しの川向い

ここは尼子の十勇士 墓は山中鹿之助

七百年の歴史流れ 臥牛のお山の城光る

清き流れは高梁川の 方谷橋の夕涼み

昔をしのぶ土手柳 河原くるくる袖の下

サツキの波に浮かぶ島 蓬莱山の枯庭は

古き禅寺に遠州が 残した技ぞ今かおる

音に聞こえし板倉様は 初代所司代すえ老中

御陣羽織は虎の皮 お城にひびく藤の胴

殿様家中お揃いで 深編笠に落しざし

手振り身振りもしなやかに 夜更けておどる月の影

国の学者と呼ばれたる 方谷様も仲間入り

手拍子楽しくおどりぬく 自慢じゃないが高梁は

京の景色におとりゃせぬ 北にみゆるはお城山

雲にそびゆる天守閣 今じゃ国宝名も高し



▲ページTOPへ
■松山踊り音頭その2
おどりおどれよ松山踊り 今宵一夜は輪に輪を作り

粋な姉さん 殿衆もおどれ 昔なつかし まつやまおどり

愛宕の山から月影させば 踊るあの娘に涼風吹いて

匂う小袖は高梁川に 恋と情けの河鹿がないて

明日は天気よ朝霧がかかる 朝霧ながれておしろがみえりゃ

昔なつかし夢物語り 時の老中板倉様も

はぶりきかせた城下の町の 変る姿に驚きゃしゃんす

絶えぬ踊りは松山踊り それじゃ踊れよ まだ夜が更けぬ

紅いたすきが仄かにゆれりゃ 夢かうつつかつい誘われて

老いも若きも月影ふんで 今宵ひとときゃ極楽世界

娘一八番 茶葉も出ばな 踊るその手に苦労はないが

せめてあのひとあの娘と共に おどるは今宵 夜あけるまでも

さあ踊ろう よのあけるまで それじゃ踊れよ 松山踊り


▲ページTOPへ
■松山踊り音頭その3
世にも名高き松山様よ 清き流れの高梁川に

古き姿を今もなお うたとおどりで名を残す

みんな輪になり手をとって 老も著きも踊ろよ今宵

サッサうたえよ まだ夜は明けぬ 世にも名高き松山踊り

城で名高き臥午の山よ ありしその日のともぞろえ

五万石ぞえ水谷様は 民があがめる守の神よ

今の代までも讃えられ 松山踊りで名を残す

ドドンとはづみの大たいこ あれは名物 松山太鼓


▲ページTOPへ
■四季の歌

春は花咲く桜土手 霞たなぴく峯の上

雲雀さえずる和田の原 うぐいす鳴くのは定林寺

夏は浅瀬に河鹿なく 方谷橋の夕すずみ

ー松亭の松風に 鈴虫松虫くつわむし

秋は紅葉の臥牛山 あかね眺めは長柳寺

愛宕の山の明月に きぬたの音は奥万田

冬の下山雪景色 轟橋より眺むれば

向う稲荷の松の森 ちらり見ゆるは赤鳥居

四季の眺めは面自く 大松由に小松山

松の緑の千代八千代 むかしなつかし松山おどり


▲ページTOPへ
■町名づくし その1

初で育ちの生娘が 高梁さんに文もろて

音に聞こえし高梁に こがれ慕うて行きまする

先ず町上より筆染めし 八重籬さんに願をかけ

見ずに添います川端町 互に疑念を内山下

望み大きく広小路 町に待ちたる本町よ

おまよいなさるな横町へ うたがいなさるな新町よ

お肚がきまりや片原町で 堅く約束石火矢町

御前町のはらひとつ 互に喜ぷ中之町

これを約しの頼久寺町 色に染めにし紺屋町

此の念とおす伊賀町よ 末万才を下町で

乗出す船は鍛冶町で みのる最上は柿木町よ

坊さん青ちの寺町や 消極主義の立町も

此所で改革荒神町 如何なるかと南町

今夜があける東町 互いに肚の間之町

共に手を引き松原通り 世間の風説中間町よ

ほかの殿御は弓之町 的を外さぬ鉄砲町

町や花やで楽しけれ 末ではなさく近似桜


▲ページTOPへ
■町名づくしその2

木野山まわれば夜空も赤い 恋し高梁盆踊り

堅いようでも花なら開く 初な広瀬のこぽれ梅

浮世さらりと法林坊へ やぷ鶯でも春を鳴く

宵の約束落合橋も 更けりや狐がコンという

轟橋から呼んでもみたが 桔梗河原は秋の風

法蓮華経なら日蓮様へ 粋な横町頬冠り

忍び逢う瀬も度重なれぱ 何時かみんなが南町

逢いに来るなら下町娘 袖すり小路が荒神町

山で赤いがつつじにつばき 私しゃ本町気がもめる

タベ涼しい方谷橋へ 添えてかけたい恋の橋

恋し恋しと近似山で 夏は一日せみの声

山が高うて小高下見えぬ 小高下恋しや山憎や

私しゃ新町主紺屋町 谷の柳がこっそり招く

甲賀伊賀町呼んでもみたが 義理を立町御前町

胸の願いは五右ヱ門稲荷 鯉が渦巻く蓮池に

何時か知らねど楢井の恋路 秘めて心の奥万田

和田前通れば黄金の波が 今日も快にじゃれかかる

私しゃ遣敷山之上 何時も玉坂逢うばかり

好いて好かれた中之町 更けてこっそり間之町

中間町から文ことづけりゃ 返す矢のない弓之町

あれかこれかと鍛冶町雀 みんな揃うた良い男

鐘が聞こえる松原通り 裸祭りの薬師院

昇る朝日の東町 何時から栄える栄町


▲ページTOPへ
■数え歌

人につたえて何時何時までも おどり忘れぬ松山おどり

二つ巴でおどるは誰か 粋な姿に一目でほれた

見渡すかぎりおどりの波よ 臥牛のお山にゃ太鼓がひぴく

嫁のゆかたで軽々おどる 街の旦那も今宵は若い

枠なこいきなおどりのその手 粋な音頭でさらりとおどれ

昔なつかし水谷様が はじめさんした松山おどり

夏の夜風で乱れた髪を 直すその手に月影おどる

野暮でおどった去年のおどり 今年しゃ浴衣も揃いでおどる

この世の苦労も忘れておどれ 今宵一夜は極楽世界

鶏の声して夜あけるまで 踊り続けよ松山踊り


▲ページTOPへ
■山中鹿之助
古いお城と猿見谷 その名も高き高梁の

橋のたもとにたたずめば 清くながれる川の瀬が

すぎし昔のことどもを 語るが如き心地する

四百年のその昔 落合橋の下の方

阿部の渡しの川の中 毛利のものの手に掛かり

お果てなされた山中の 幸盛様をしのびましょう

頃は天文十余年 出雲の国は富田城

尼子義久 殿様の 太刀持つ小姓となられたり

牡鹿の甲をいただいて 鹿之助とぞ申されし

年は十六初陣に 伯耆尾高の城を攻め

敵は大将菊地とて 音に聞えた豪傑を

ただ一打ちに打ちとって その名は遠く轟けり

若き心の一筋に 君に忠義を尽さんと

文武の道に励みつつ 三日月様を伏し拝み

我に艱苦を腸われと はやる心を押えたり

やがて西より毛利勢 嵐のように攻め寄せる

富田川原の一騎打ち 太刀振りすてて組みつけば

品川大膳 剛力に 組みしかれたはつかの間よ

タ日にかがやくひおどしの 弓手に高く品川の

首を掲げし武者振りに 鳴を静めて見守りし

川を隔てた敵味方 どっと挙げたりときの声

されど雲霞の敵兵に 十重二十重に囲まれて

義久公は降参す 山伏姿に身をやつし

京都に逃れ勝久を 探し求めて旗を挙ぐ

いつしか集まる十勇士 大山お山の僧兵と

力を併せて戦えば 勢漸く盛んなり

されど運命極りて 吉川軍に出て降る

手厚きもてなし受けたれど 免がれがたきを知るにつけ

厩の中より逃がれ去り またも京都にはせ上り

織田信長に見参し 秀吉軍に加はりぬ

播磨に進み上月の 城を攻めとり意気高し

やがて宇喜田の手引にて 毛利勢の七万騎

吉川軍を先頭に 津波のように攻め寄せる

救いに来る秀吉は 高倉山で破れ去る

涙ながらに勝久に とくと因果を含めつつ

恥を忍んで自らも 再ぴ降る吉川に

毛利の大将輝元の 本陣ありし松山の

お城をさして送られる 天正七年七月の

十七日のまひる時 阿部のわたしにさしかかる

扇子を片手にあおぎつつ 腰かけ岩で船を待つ

待つ間遅しと河村が 柳の蔭より躍り出て

抜く手も見せず袈娑がけに 一太刀深く浴せたり

かねて覚悟のことなれば 不意を討たれてうろたえず

彼方をさして徒歩渡る そぱに控えし附人の

福間すかさず追いすがり 組みつほぐれつ川の中


世に聞えたる剛勇も 深手を負いし一人身の

ニ人の敵に組みつかれ カつき果てあえなくも

三十四才を一期とし あたら最後をとげられた

勇士の名残り惜しみつつ 手厚くまつる観泉寺

しるしに植えし大榎 供養に積みし五輪石

度々いでし大水に ついに跡なく流れたり

空しき月日 百余年 板倉様の御家中に

その人ありと知られたる 学徳高き前田様

勇士の勲を伝えんと 再ぴたてし記念の墓標

川の流れと人の世は 逝く年々に変れども

日毎に通う備北バス ガイドにその名を呼ばれつつ

多くの人に仰がれて 千代万代に伝わらん


▲ページTOPへ
■神原心中

備中高梁城下町 吉備の京都と唄はれた

幕末頃の物語り 頃は慶応の始めにて

城下外れの神原で 世にも悲恋の心中ぱなし

処は神原乎田畝 小んもり繁る山中で

ニ人の恋は清かった 知るは仏か神ぱかり

せつない二人の胸の中 十九・二十のつぼみ時

知るか草つゆしっとりと 哀れ悲恋の涙似て

ニ人を送る山百合の 香りの中に消えて逝く

清く旅立つ二人には 此の世に何んのみれんなし

愛の園の天国に 結ぷ二人の旅立ちに

話せば長きことながら ちじめて語りて申すなら

神原村の定太郎 色こそ黒いが働き手

病いの父をいたわりて 村一番の孝行者

割出の医者に薬とり 雨の降る日も雪の夜も

相手の娘「とめ」と云ひ 福地村なる百姓の

徳蔵妹できりょうよし 割出村なる輝景の

医者の家に住込みの 三年切っての年期つとめ

「とめ」は皆んなに親切で 年寄子供をいたわりて

医者のしごとも助けたり 評判者で良い娘

二人の出会いは二年前 秋の木の葉が落ちる頃

どちらともなく見そめあい 愛も互に語りあい

末を誓った二人仲 花も実もあるかきつばた

月日は流れ日は立ちて 年期の満期過ぎた頃

ニ人の伸を露知らず 阿部の村なる善光院

仲人役を引受けて 娘の心かまい無く

親が決めるが世の習い 無情と云うもあわれなり

泣く泣く嫁ぐ其の先は 同じ村なる兼之蒸

定太郎とても同じ事 三度の食事ものどこさず

村人たちのなぐさみも 何んでわかろう胸の中

うつろの日々を過しけり 時しも村の大祭り

若者達はうかれ立ち 神社の森に集まりて

お神酒を上げて大さわぎ 思いあまった定太郎

いても立っても居られずに 「とめ」の嫁いだ兼之蒸

忍んで行って「とめ」に逢ひ 時の立つのも忘れしを

兼之蒸帰りおどろきて 「とめ」折艦見ておれず

涙で帰る定太郎 不義は当世の御法度で

兼之蒸始末をせまりくる 親子親族詑ぴたれど

解決すべきすべもなく 苦しい胸の定太郎

「とめ」と覚悟を決めあって 逃げたる所は作州の

湯原の里に身を寄せり 此れを知りたる親・身内

村人達は総出にて 探し求めし作州の

湯原の里より連れ帰り 二人を囲んで大評議

若き二人の運命は 二人で決めた黄泉路旅

今も残れる心中塚 平田畝の草むらに

淋しく立てる墓石に 誰れが手向し花一輪


▲ページTOPへ
■武士の誉
人を見おろす実の人 たかさだ遺恨の始まりは

二つ巴の大小は  流石は力禰の御師匠役

身は横縞の立鳥帽子 金に傾く誤りよ

世柄の御上使引受けて 塩谷は無念の御切腹

何時でる鉄砲我知らず しうとの敵は定九郎

娘を祇園の与一兵衛 むこのためとて売りにけり

むこのためとて 売りにけり

しれもカザや 名を痴漢者の揚屋町

敵を知らさぬ手立とは 草約東たがわず来るとなせ

小浪は力弼の御使者役 心の底の奥深さ

この山科の隠れ家を どつてあだあかわや

捕手は数多天川屋 義兵衛は勝れし剛の者

ー身連判四十余騎 そろえし黄金の短冊を

逃げるおそのの心根は 子故に迷いし小提灯

先立つ早野の勘平は 若げの至りが残念な

四十七人連判の 中にも寺岡平右衛門

御門掛のきびしさに 石垣金堀はざままで

ろう下玄関いちいちに 雨戸あいせんあいくろろ

七寸余りの弓竹を 敷居と鴨居に張り置きて

早や夜は夜中烏の声 忍べよ忍べ今一度

目をしけれども師直は ぬけ穴よりも炭部屋に

人に思いの念願も 亡びし高の師直よ

命を捨てて主のため 報せんための憂き勤め

ニ階で文をば写しとり 筆も及ばぬのべかがみ

盃させば手をだして 足をいたゞくたこ肴

舌も廻らぬ高調子 奥はさわぎの太鼓ご一味

虚無僧姿の加古川は 命を捨てて山科へ

禄盗人の九太夫は 敵の犬が緑の下

七里の渡に帆を巻いて 急ぐ心は山科へ

恥と思わぬ錆び刀 差してくるのも大さわぎ

国を隔てて遥々と 来るも契りは一夜限り

勘平さんはご一十に なるやならぬに死なしゃんす

石を入れたる駕の中 由良さん御油断なさるなよ

ニ世の盃すんだ後 小浪は力禰に別れ行く

酒を飲ませうと取捲いて 酒をのまぬといわしやんす

しどろもどろの足取は 酒がこたえる雪とかし

五輪の形は自雪の 消ゆる命の判じもの

六字の禰陀の笹の音は これが尺八煩悩の

縞の財布を任せぬからは おかるが身の代五十両

母はカを振り上げて 泣く音は鶴の巣寵りか

黒装東の出立は 末の世まで名を残す

四十過ぎての色狂い 誠を知らぬあやまりよ

いろはの文字を合印し 実に思臣の仮名手本

悪いは師直唯一人 思いをはらす明日の鐘

堺の浜で傷も無く 猶天川屋大丈夫

四十七士の人々は 約東かたき石の帯

御本望をと計りにて 名残りおしさの山々と

禄され軽き寺岡が 一人となりて付けねらう

七世の後まで名を残す 是ぞ思義の徳ぞかし

▲ページTOPへ
■石童丸

父をたずねて幾百里 石童丸の物語り

国は紀州にその名も高き 高野山とて尊いお山

秋も半ぱの日暮れ時 母子二人の旅姿

かかる難所をたどたどと 尋ねさまよう山坂路

女人堂までついたれど これより先は掟にて

女の登りはゆるされず 破ればたちまちわざありし

母は涙でこまごまと 石童丸に云い間かせ

別れて行くもあわれなる これが最後となろうとは

あわれなるかや石童は けわしき道をただ一人

後に残りし母親は 神や仏があるなれば

どうぞ父にと会えるよう 両手合わせて伏拝む

さがし求めて一筋に 小さな足で登り行く

丁度出会いし丸木橋 見れば片手にお経本

花桶持ってじゅず持って どこかに品のありそうな

この人こそは父親か かけより勇んで声かける

聞いて坊さんおどろいて 見れば子供がただ一人

たずねる人と間くなれば 父を探してはるばると

国は筑紫の松浦で 名前は加藤繁氏よ

小さい時に生別れ 顔や姿は知らねども

高野へ登ってお坊さん 風のたよりで間きました

間いて苅萱おどろいて 石童丸の手を取りて

しみじみ顔をながむれば たしかに幼きその顔は

まさしく我子と思えども 目には出さねど抱きしめて

うち明けようか我身をば いえいえ我身は知らされぬ

胸の痛みをこらえつつ 涙かくして石童に

世を捨て子を捨て妻を捨て 旅に出るとは父親に

よくよく因果のありそうな 決して親を恨むなよ

云えぱ看童苅萱の 衣のそでに取りすがり

会わして下さい父上に ぷもとで病気の母上も

神に析りつ待ちわぴる 又は苅萱おどろいて

せきくる涙がほほ濡らす ぐっと引寄せ看童と

間けば母上御病気と 衣の中より一つつみ

薬取り出し石童に 早くこれをば母上に

のまして上げよと進むれど 石童丸は顔ふりて

母に薬はあげたいが あなたと別れりやこれっきり

ニ度会えない人となる 薬も何んにもいりません

父に会ふまでこの寺の あなたのおそばにおいて呉れ

虫が知らすと言うものか 幼な心の石童に

心の底に父親と あまいほのかな心地する

鳥か蹄くかや苅曲鼻の 雁も行く行く親子づれ

そなたの尋ねる父上は 旅僧姿に身をやつし

諸国修業なされてる 今に行方も知れざる程に

心の中で手を合わせ どうぞ恨んでくれるなよ

早く行かねば日は暮れる 右の道わきゃ花坂路

石童丸もしかたなく 身にお守りいただいて

一人とぼとぼ母のもと 振り返りては又止り

未練の涙ほほ濡らす これが我子と知りながら

やさしき心振りすてて 石童丸を見送りし

帰りて見れぱ母上は 重き病とその上に

なれない旅のつかれにて 我子の帰り待ち切れず

お果てなされし夜の空 呼べど答えずいきはなし

寺母にすがりて叫んでも 返りて来るは山びこよ

月も泣くかな涙雲 淋しき夜空にただ一人

右童丸はただ一人 泣いて血を吐くほととぎす

あゝ運命はいづこえや ほんに涙の物語り

幾年過ぎし十余年 諸国大名なられたる

幼き時代の物語り 末の末まで語り継ぐ 
▲ページTOPへ
■佐倉宗吾くどき

国は下亀印希の郡 佐倉領なる岩橋村よ

名主総代宗吾郎こそは 心正直利発な者よ

これや由来を尋ねてみれぱ 国の役人騎りに長じ

年貢加役をきぴしくなさる 下の困窮圏もあてられず

今は暮しもできがたければ 組は村々相談極め

年貢加役の御免を願う されど役人横縞なれば

逆くやからはお仕置なりと なおもきぴしく取り立てなれば

百姓残らず思案にくれて 組合隣村はじめといたし

二一百二十のその村々ヘ 廻状いたして相談なせば

佐倉宗吾を始めとなして 名主総代残らずあわせ

名主総代残らずあわせ 江戸の屋敷へ願いをあげる

又も今度も取り上げられず 宗吾心で思案を定め

諸人一同の身の昔しみを 我が身一人の命にかえて

いっそお上へ願わんものと 国の妻子をよくよく頼み

暮の二十日のお成りの場所は 花の上野のご一枚橋よ

下に忍んで待ち受けまする そのや析から将軍様は

お成り相すみ還御となりて 橋のたもとへお駕寵はかかる

かねて用意の宗吾はすぐに 竹の先へと願書差し入れ平伏いた

それと見るよりお供の衆は すぐに宗吾に早縄かけて

お奉行所へとお渡しなさる されば佐倉のご領主様は

国の宗吾が将軍様へ じきの願いをあげたる故に

すぐに上から言渡されて 年貢加役も御免となれば

園に残りし百姓達は 心落ちつき安心いたし

下の騒ぎはしずまりたれど ここにあわれな佐倉の宗書

上へ直訴のその罪科で 上へ直訴のその罪科で

国へ引かれて獄屋の住まい 殿の憎しみ昼夜の責で

今は命もきわまりまして 親子六人死刑の場所に

カなくなく引出されて 宗吾夫婦の見る目の前で

子供ならべて成敗いたす 修理の太鼓が合図の時刻

げにも地獄の午頭馬頭なるか 未だ二つの三之助より

首を切らんと太刀振りあげる これを見るより母親こそは

心も身もよもたえられぬ思い 我が身夫婦は責昔にあいて

如何に苦しみいたせぱとても 幼なけれどもさてむごたらしや

頑是なき子に何科ありて 殺し給うぞ無理著なるぞ

思い知らせん覚悟をせよと はっと吐く息火焔のごとし

歎き苦しむはやそのうちに あとは五つの喜八をはじめ

中は九つ玄助というて 惣領十一惣吉までも

情容赦も荒身の刀 子供四人は両手を合せ

これゃ父様あの母様よ 先へ行くから後から早く

急ぎ給えと健気な言葉 南無という声この世のいとま

首は夫婦の前へと落ちる これに続いて夫婦の者を

台かけおきて大身の槍で あわれ無惨や成敗いたす

あまた諸人その見物が ワッと声立て皆一同に

嘆き泣き立つ声すざまじく 天にひぴきてあら恐ろしや

身の毛もよだちて見る人々も 共に心も消え入るばかり

寸さればその後も夫婦の者は こごりし一念この世に残り

その霊魂が現われいでて 国の館のお庭先の

雪見燈寵の小影に立ちて 細き声さえいとしわかれて

殿のおんためお国を思い 苦労苦心の年月積り

恐れながらも将軍様へ 直のお願いいたせし罪よ

これも非道の役人方の 上を欺むく偽なれば

なおも怨みの数かさなりて ここにあらわれ怨みをはらす

間いて殿様役人はじめ 国の百姓みな一同に

宗吾の霊魂神にとあがる 思いはらして豊作まもる

今に佐倉の鎮守の祭り 国の守りとその名は残る



▲ページTOPへ
■女一代たしなみ鏡

国は河内の山畑で 諸国長者が集まりて

衣裳比べがいたされる 主の佐太郎の初菊と

俊徳丸とこの時に 親と親との許嫁

稜徳母に死に別れ 犬和の国は萩よりも

後妻おすわを貰いうけ 乙五郎つれて二度の縁

長の年月送るうち 慾の袋にゃ底がない

吾が子に跡がやりたいと 思えば俊徳邪魔になる

刀で殺せば傷がつく 毒を呑ませば色変はる

析り殺すが分別と 大和に帰るといつわりて

泉川堺に出てまいり 鍛治屋与次兵工に頼み込み

耳なし釘をあつらえる それは厭じゃと断れぱ

おすわは大いに腹を立て 何時ぞや貸した金返せ

金に手詰り写次兵ェが 泣く泣く仕上げる四十九本

さても邪険な「おすわ」めが 自装東に下げ髪で

頭に「せんとく」胸鏡 わらの人形携えて

草木も眠る丑満時 人目を忍んで刻参り

急所急所に打つ釘は 頭が痛む手が腐る

草一夜の間に腫れ病い そこで継母申すには

四国西国巡るなら 本復すると偽りて

俊徳丸を追い出す 俊徳我が家を立つ時は

背に笈摺杖に笠 郷里と名前を書き記し

敷居を越すのが死出の山 雨だれ越すのが三途の川

門に立てりし俊徳が もうし父さん父さんよ

私の出た日を命日と 枯れたしきぴの一枝も

析れた線香の一本も 供えて下さい父さんよ

本の母さんあるならぱ こんな苦労はあるまいに

杖をたよりにとぽとぽと 諸国巡礼いたされて

巡り来たのが「さのうむら」主の佐太郎と知らずして

報謝頼むと門に立つ 報謝進上と初菊が

盆に「しらげ」の志し 笠の印を見るなれば

俊徳丸と肩いてある これが夫かわが妻か

親に頼んで暇貰い 夫の病気をなおさねば

女の操が立たないで 俊徳丸の俊徳慕い

ー先ず京都にのぽられて 伏見の滝や清水の

滝に打たれて荒行する 一心込めた御利益で

俊徳病気が全快し 一先ず郷里に帰られて

俊徳丸と初菊と 目出度く祝言致されて

二一代長者と名をなのり お礼参りと致される




▲ページTOPへ
■八百屋お七

さても踊りの皆様方よ 一寸出ました私が音頭

伺いまするは短こて長ごて いとも古くてすまないけれど

八百屋お七の物語り 月に叢雲 花に風

散りてはかない世の習い それではぼつぼと文句にかかる

所はお江戸の本郷で いともかれんな八百屋のお七

店で売る品何かと間けば 椎茸・大根・千瓢と

こんな商売やめにして も一度家を焼いたなら

好きな吉ッあんに会えようと 乙女心の一筋に

一束の藁に火をつけて パット投げたが火事になり

火事ぢゃ火事ぢゃと鐘たたく 誰知るまいと思うたに

八百屋の家からご一軒圏 長屋の武乎さん申し出た

訴人せられしお七さん 散々縄目に縛められて

下町御奉行に引出さる 今更後悔何んとしょう

ー段高いは御奉行様 お七にとってはお叔父さんで

お前十四か十三か よもや十五にゃなるまいと

鉄扇で知らす目で知らす それでも解らぬお七さん

いえいえ私は十五です ひのえひのとの馬の年

それに因んで名もお七 十四と言えば助かるに

十五と言ったぱっかりに 百日百夜は牢住い

百日百夜が明けたれば 栗毛の馬に乗せられて

先に令状旗幟 小伝馬町に大伝馬町

米の花咲く麹町 落してわれたが瀬戸物町

色はにほえる女郎屋町 日本橋も早や過ぎて

品川宿場に来かかると 品川女郎衆がお出迎え

鶴千代さんに亀吉ッあん 寝まきのままで出ておいで

あれが八百屋のお七ちゃん 鼻筋通って色白く

髪はからすの濡れ羽色 吉ッあんほたれも無理はない

ほんに儚い人生と 世の末までも語りぐさ
▲ページTOPへ













  

 Copyright(C) 2001 備中高梁観光案内所