▲観光案内所トップページへ  ▲歴史探訪トップへ 

年号 西暦 高梁市史 一般
天暦9年 955 木野山神社創建
寛弘元年 1004 近似稲荷神社で霜月大祭が始まる
1185 壇ノ浦の戦い
1192 鎌倉幕府誕生
承久3年 1221 承久の乱
延応2年 1240 秋庭三郎重信(あきばさぶろうしげのぶ)が臥牛山、大松山に大砦(現備中松山城)を築き、城下町ができる。
1274 元寇の乱
1281 元寇の乱
元弘元年
元徳3年
1331 備中三好氏一族であり備中守護職となった。
高橋宗康(たかはしむねやす)氏が松山城(当時は高橋城)城主に、高橋氏の入城に伴って「松山城」と改称、地名も「松山」となる。
1338 足利尊氏が京都に室町幕府をひらく
正平10年
文和4年
1355 高 師秀(こうのもろひで)、備中守護として松山城に入城
正平17年
貞治元年
1362 主君、師秀を徳倉城に追放し秋庭重明(あきばしげあき)が城主となる
1467 応仁の乱
永正6年 1509 上野頼久(うえのよりひさ)が備中守護代として入城
天文2年 1533 庄 為資(しょうためすけ)、上野氏を滅ぼし大松山城、小松山城を築く
元禄9年 1566 尼子氏が毛利元就に滅ぼされた際、山中鹿之助は織田信長の力を借り、尼子氏再興のため兵を挙げ、備前宇喜多氏の直家であった播州上月城を攻め取とる
元亀2年 1571 三村元親(みむらもとちか)、庄氏を滅ぼし成羽鶴首城より入城
1573 織田信長が室町幕府をほろぼす
天正3年 1575 三村元親、備前小早川、毛利軍により落城自刃
(備中兵乱)
<備中の有力者三村氏が、備前の宇喜多氏との戦いである明禅寺合戦に敗れた後、毛利氏の援助によって勢力を回復し、松山城に入るが、その後、毛利氏と宇喜多氏が接近することにより、逆に毛利氏に松山城を攻め滅ぼされてしまう>
(天野・桂氏に城主交替
1579 小堀遠州生誕
1590 豊臣秀吉が全国を統一する
1595 御津町にあった道源寺を高梁に移建
慶長5年 1600 小堀正次(こぼりまさつぐ)関ヶ原の合戦後、徳川家の代官として入城 関ヶ原合戦
慶長9年 1603 父正次の急死により小堀遠州(=小堀政一・こぼりえんしゅう・まさかず)が継承。城と御根小屋を修理 徳川家康が江戸に幕府を開く
慶長10年 1604 備中国奉行・小堀遠州が頼久寺から御根小屋に移り住んだ。
元和3年 1617 池田長幸(いけだながよし)が因幡鳥取より入封、新田開発や城下町整備を拡張。6万5000石の松山藩が成立する
元和10年 1624 薬師堂、建築
寛永15年 1638 家治公の天草移封に従わなかった一部家臣が寿覚院と共に高梁に移る
寛永18年 1641 池田氏が無嗣除封となり松山藩は備後福山藩の預かりとなる。
慶安元年 1642 水谷勝隆(みずのやかつたか)が成羽より入封、5万石で松山藩主となる。水路の整備や玉島港の開発に取りかかる。
慶安2年 1643 水谷勝隆が下館定林寺を高梁に移し備中国僧禄所とする
1648 水谷勝隆により松山踊りの「地踊り」開始
慶安4年 1651 水谷勝隆、御前神社に時鐘を奉納
1653 時の藩主水谷勝隆により松山踊りが誕生
明歴3年 1657 松連寺、水谷伊勢守勝隆により新築
寛文4年 1664 水谷勝宗(みずのやかつむね)、城下の町割りを整える。
1681 水谷勝宗が備中松山城と御根小屋を大改築した
天和3年 1683 小松山城を改築、住居券政庁として御根小屋を大改築する。
元禄6年 1693 水谷氏の3代目・勝美が31歳の著さで急死し継子も13歳で亡くなった為、幕府は備中松山藩水谷家に”お家断絶、所領没収”となる
元禄7年 1694 水谷氏が無嗣除封となり播磨赤穂藩預かりとなる。浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)が、家老大石内蔵助(おおいしくらのすけ)を従えて松山城を請取りに、後大石内蔵助が城番として常駐。
元禄8年 1695 安藤重博(あんどうしげひろ)が、上野高崎から入封、城主交替
正徳元年 1711 石川総慶(いしかわふさよし)が山城淀から入封、城主交替
1716 享保の改革
延享元年 1744 板倉勝澄(いたくらかつずみ)が伊勢亀山から入封、備中松山城主となる。学問所(のちの藩校有終館)を創設
明和元年 1764 西林国橋誕生(備中神楽の父)
1772 田沼意次が老中に
1787 寛政の改革
寛永5年 1793 松山藩主勝政公が八重籬神社を創建
文化2年 1805 山田方谷誕生
文政13年 1830 藩の平穏と五穀豊穣を祈願する旗行列が誕生
1837 大塩平八郎の乱
1841 天保の改革
嘉永2年 1849 板倉勝静(いたくらかつきよ)藩主となる
山田方谷元締め役兼吟味役に就任
嘉永6年 1853 ペリー浦賀に来航
1863 松山藩士 谷兄弟が新撰組に入隊
慶応3年 1867 大政奉還
1866 薩摩藩と長州藩が連合する
明治元年 1868 備中松山城無血開城
池田氏、定番として松山城に入城
江戸幕府がたおれ、江戸が東京にあらためられた
1869 板倉氏再興、松山城に入城
1871 廃藩置県
1873 松山城 廃城 地租改正
明治9年 1876 高梁に第4警察出張所が設置
明治10年 1877 山田方谷没す
上房郡役所が本町に設置される
三島中州、東京麹町に二松学舎をおこす
第4警察出張所が高梁警察署と改称
1878 中国銀行の元である第八十六国立銀行が高梁に設立
明治14年 順正女学校の前身の裁縫所を福西志計子氏が木村静子氏とともに、開く。
明治15年 高梁キリスト教会設立
明治16年 清水比庵誕生
明治22年 吉田伊兵の設計により高梁キリスト教会が建設される
昭和4年 松山村とが合併
昭和23年 上房地区警察署(国家地方警察)高梁町警察署(自治体警察)とに分離
昭和26年 高梁町警察署が廃止され上房地区警察署に併合
昭和29年 高梁町・津川村など9町村が合併し高梁市の市制施行
上房地区警察署が高梁警察署と改称
昭和30年 中井村と合併
昭和34年 成羽警察署が廃止され高梁警察署に併合
昭和49年 頼久寺、国の名勝に指定される
平成2年 童謡の町づくりスタート
平成13年 2001 三ヵ年の計画で天守閣などを修理
平成14年 2002 ・高梁少年少女合唱団が初の海外公演(チェコ、オーストリア)を行う
・小学生子ども議会を開催
・吉備ハイランドオアシス交流広場がオープン
・保健医療・福祉・環境の功労者を顕彰する「赤木五郎賞」の第1回受賞者が決定
・学校完全週5日制スタート
・桜まつりで備中松山藩古銃鉄砲組がデビュー
・高梁市のCMが瀬戸内海放送「ふるさとCM大賞」で優秀賞を獲得。150回放送される
・農村集落排水処理施設 楢井処理場が完成
・宇治町に「たかうね桜の森公園」が完成・桜2001本を植樹
・心身障害者作業所「たかはし福祉作業所」が開所(川面町)
・松原地区で放課後児童預かり事業を開始
・市健康増進施設「朝霧温泉ゆ・ら・ら」の入館者が20万人を突破
・特定環境保全公共下水道事業による川面・津川汚水管布設工事が始まる(国道180号ほか)
・市議会議員選挙・新議員18人決まる
・県消防操法訓練大会(小型ポンプ操法の部)で高梁市消防団(落合分団)が第3位の快挙
・簡易水道料金を引き下げ。市内すべての簡易水道料金を統一
・吉備ケーブルテレビがインターネット接続サービスを開始
・高梁地域合併問題研究集会を開催
・高梁地域1市6町で高梁地域合併問題任意研究協議会を発足
・落合小学校に新プールが完成
・高梁保育園で「子育てサロン」スタート
・高梁地域観光協議会が「たかはしOld&New観光キャンペーン」を展開(〜12月)
・「晴れの国おかやま国体」高梁市実行委員会が発足
・巨瀬小学校の改築工事に着工
・高梁地域1市6町が県の合併重点支援地域に指定される
・合併問題をテーマに市内10か所で市政懇談会を開催(〜8月)
・住民基本台帳ネットワークシステムがスタート
・「国際交流の夏」高梁日新高校へ中国からの短期留学生80人、国際姉妹都市米国トロイ市からジュニアハイスクールの生徒15人が来高
・赤羽根古墳群(落合町阿部)から新たに5基の石棺を発掘、人骨や勾玉などが出土
・「かぐら街道ふれあい祭りin松原」で、渡り拍子が33年ぶりに本格上演される
・市内2番目となるケアハウス「ちかのり荘」が開所
・津川で「備中たかはしYou・農・遊フェスティバル」が開催
・市営下谷住宅の建て替えが完成
・高梁小学校創立30周年を記念して、本市出身の野球解説者平松政次さんが講演
・栄町商店街で「わくわく子どもフェスタ21」を開催
・県教委が高等学校再編方針を発表16年度に高梁工業高校と川上農業高校、成羽高校を1校に統合
・高梁地域合併問題任意研究協議会から吉備中央町が脱会1市5町となる
・高梁青年会議所が創立30周年記念事業「高梁川環境フォーラム、かわらで遊ぼ!」を開催
・市役所が環境に関する国際規格ISO14001を認証取得
・福地小学校が県スクールインターネット博で最優秀賞を獲得
・吉備国際大学サッカー部が天皇杯へ3年連続出場
平成15年 2003 新市の名称「高梁市」 に決定 「岡山県立高梁城南高等学た。来春開校の新高校の名称 「高梁城南高校」に  本市をはじめ有漢町、成羽町、川上町、備中町で臨時議会が開かれ、1市4町で法定協議会を設置する議案が可決。これを受け翌日に「高梁地域合併協議会」が発足しました。高梁地域合併協議会(法定協議会)を発足 (5月16日)

備中松山城保存修理が完了備中高梁駅東西連絡道の 工事に着手 市民ボランティアが「落書き消し 大作戦」を展開 戸籍事務をコンピュータ化 びほく、吉備中央町、北房町の3農協が合併し (勢)

 これまでの資源収集品5品目に「その他プラスティック」 、新聞・古雑誌」が新たに加わわりました。「その他プラスティック」「古新聞・ (4 月)

 高梁地域合併協議会は、来年10 月を目標に合併を目指す新市の名称を「高梁市」に決定しました。 同協議会は、8月末に1市4町の全世帯へ新市の名称を募集。「高梁市」、「備中高梁市」、「備中松山市」、「備中市」、「備北市」の上位5点から「高梁市」が選ばれました。(11 月21 日)

 県教育委員会は、高梁工業高校、成羽高校、川上農業高校の3県立高校を統合し、来年4月に開校する新設校名を校」に内定しまし(6 月13 日)

 備中松山城の保存修理が1 月末に完成。石垣の一部がはらみ出し、渡り廊下が沈み天守本体にも影響を及ぼしていましたが、往時の姿を取り戻しました。総事業費2億1500万円。(1 月)

 連絡道は、駅舎の東西に階段とエレベーターを設け線路上空を通路で結ぶものです。完成は来年3月末の予定。(4 月)

 ボランティアの市民約250人が参加して市街地の落書き消しが行われ、元のきれいな街を取り戻しました。(7 月27 日)

 戸籍事務が簡素化され、正確で迅速な事務処理が可能となり、窓口での待ち時間が大幅に短縮されました。(2 月15 日)

 合併は、「県下JA八圏域構想」の一環。名称は核となる「びほく農協」が継承されました。区域はおおむね高梁市と上房、高梁市の1市6町。組合員数は14,345人(10 月末)

新しい「びほく農協」が発足 (1 月1 日)

 平成15年もいろいろな出来事がありました。今月号ではこの一年を振り返り市政の主なニュースを紹介します。(順位は、市政モニター、各地域の公民館長、市役所内各所属長などへのアンケートを参考にしました。)

−県立高校再編−姿を現した東西連絡道( 12月上旬)

▽中原浜雨水幹線工事に着工
▽国道180号(高倉町地内)
の洞門工事完了3月
▽「文化遺産と斜面災害」をテーマに国際オープンフォーラムが開催4月
▽川面地区の学童保育「川面児童クラブ」が発足
▽中井町に「方谷の里ふれあいセンター」が完成
▽巨瀬小学校の新校舎・体育館が完成
▽高梁市地域新エネルギービジョンを策定
▽津川町に住民の手づくり公園「木野山カムカム公園」が完成
▽宇治町の「たかうね桜の森公園」で初の桜まつり開催
▽市町村合併 北房町は住民投票で「真庭地域」を選択5月
▽国土交通者「中国地方のまちの魅力度調査」の「きれい」「活気・にぎわい」部門で、高梁市が4位にランキング
▽すこやかプラン 21 推進大会を開催
▽高梁市消防団(高梁分団)
が県操法訓練大会で第3位の快挙
▽市内の小学校に初の外国語指導助手が着任6月
▽高梁運動公園に弓道場を再建
▽落合小学校校舎の一部建替えに着手7月
▽栄町に乳幼児の子育て支援施設「にこにこ広場」がオープン8月
▽住基ネットの第2次サービスがスタート
▽市営肉谷住宅の建替えに着工
▽国際姉妹都市米国トロイ市へ中学生親善大使 13 人を派遣
▽ふれあい女性懇談会を開催
▽備中たかはし松山踊り 新音頭櫓で盛大に開催9月
▽フィルム・コミッション設立に向け、水野晴郎さんが講演 10 月
▽吉備ケーブルテレビで文字放送による行政チャンネルを開始
▽「平成 17 年晴れの国おかやま国体」に向けて市民体育館・神原スポーツ公園( 12 月.)
の改修工事に着工
▽中井町で農業イベント「You・農・遊フェスティバル」を開催
▽市職員による「出前講座」をスタート
▽国際姉妹都市米国トロイ市から市長らが公式訪問 11 月
▽備中松山城の修復記念イベント「備中松山城物語」が開催される
▽赤羽根イナリ古墳公園の整備に着手 12 月
平成17年 市町村合併




  

 Copyright(C) 2001 備中高梁観光案内所